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名古屋市・名古屋栄の派遣会社エイチアールテクノがお伝えする豊田市の話題

愛知県豊田市は2021年に市制70周年を迎えます。

豊田市の派遣会社である弊社も、お祝いを込めて豊田市の歴史に触れてみようと思います。

記念すべき2021年が明るい展望の開ける一年になりますように。


名古屋栄・豊田市の派遣会社エイチアールテクノのお届けする豊田市の情報

豊田市のあゆみ(年表)

1951年、「挙母町」(ころもちょう)の市制施行により「拳母市」(ころもし)誕生
1956年、「高橋村」と合併
1959年、「豊田市」(とよたし)に市名変更
1964年、「上郷町」と合併
1965年、「高岡町」と合併
1967年、「猿投町」と合併
1970年、「松平町」と合併
1994年、「地方拠点都市地域」に指定
1998年、「中核市」に移行
2005年、「藤岡町」「小原村」「足助町」「下山村」「旭町」「稲武町」と合併

「クルマの町」になるまで

はじまりは旧石器時代から

豊田市内に多数ある遺跡の中でも、特に古いものは縄文時代以前の旧石器時代の石器が見つかっています。
約2万年前から人の生活がここ豊田市にあったということです。

明治~大正は養蚕・製糸業


名古屋栄・豊田市の派遣会社エイチアールテクノがお届けする豊田市の話題

▲養蚕イメージ

豊田市の前身である挙母町(ころもちょう)は明治~大正時代、養蚕・製糸業を中心に発展していました。
養蚕業の隆盛と共に、三河鉄道(現・名鉄三河線)開通など、近代的な交通網の整備も進みました。

昭和に入って生糸の需要が減少すると、「養蚕の町」として栄えてきた挙母町も次の産業(自動車製造)の誘致に乗り出します。

トヨタ自動車の工場が稼働開始

工場誘致に見事成功し、1938年トヨタ自動車工業株式会社(現・トヨタ自動車株式会社)の挙母工場が完成。
自動車の生産が開始され、「クルマの町」としての歴史がはじまりました。

「挙母町」から「豊田市」へ

1951年の市制施行で「挙母町」から「拳母市」になっていた1958年、商工会議所から「市名変更請願書」が出されました。
主な理由は「日本有数のクルマの町になったから」「拳母が読みにくいから」。

歴史ある地名に愛着のある市民も多く、賛否両論ありましたが、1959年「豊田市」に市名変更されました。

市名は「豊田市」になりましたが、「拳母」という地名は今でも残っています。
有名な「拳母まつり」や駅名「上挙母」としても馴染みのある名称です。

昭和の合併・平成の合併

1956年から1970年にかけて、隣接町村との合併が積極的に行われました。
詳細は豊田市のあゆみ(年表)を参照

2005年にはさらに北東部の6町村と合併し、新生豊田市が誕生しました。

これからの豊田市

1951年に「拳母市」として市制がはじまってから70周年の2021年。
コロナ禍の中ですが、これからの豊田市にも注目・魅力発信に協力していきたいと思います。

・SDGs未来都市とよた

豊田市は2018年に「SDGs未来都市」として選定され、「SDGs」実現に向けた様々な取り組みを実施しています。
「エネルギー」「モビリティ」「ウェルネス」を重点におき、2009年から続けられている「ミライのフツー」をつくる取り組みをさらに広げています。

・WE LOVE とよた

全国に誇る豊田市のすばらしい魅力を再発見し、豊田市をさらに好きになり、次の世代につなげていく取り組みです。
市民一人一人が楽しみながら、魅力に気づき、それを周囲に伝え、皆で協力してもっと楽しくする。
豊田市の魅力に気づく様々なイベント・取り組みが豊田市のいたることろで実施されています。


豊田市・名古屋栄の派遣会社エイチアールテクノの紹介する豊田市の歴史

▲豊田市の魅力の発信、啓発に使用できるロゴマーク(本サイトも豊田市の魅力を発信しています!)


参考URL:豊田市公式HP https://www.city.toyota.aichi.jp/index.html